#092 高田スポーツ店店主/元サッカー国際審判員
高田 静夫さん
公開:2014.06.02

審判に必要な資質は、
冷静さ、忍耐力、即断即決力と…
2014 FIFAワールドカップがいよいよ6月から開催! 1986年メキシコ大会で、日本人初の主審を務めた高田静夫さんに、奥深いサッカーの審判について伺いました。
「メキシコ大会では世界32名の審判のうち、アジア人の枠は3人だけ。選ばれたときは、私もサッカー協会も驚きました。審判としてはピークの30代後半での参加でしたが、言葉の壁もあり、世界の雰囲気に馴染めず…井の中の蛙だと思い知りました。次のイタリア大会では少し安心できて、納得できるゲームになりましたね」
サッカーを観ていて、審判を意識することって少ないですよね? でも、そんな「目立たない審判こそ、いい審判」だと、高田さんは言います。
「選手が審判を気にせず、試合に集中できている時、試合の流れが途切れずスムーズに運んでいる時、“うまくいっているな”と感じます。そのためには、一試合通した判定の一貫性が大切ですね」
「審判に必要な資質は、選手の文句にカーッとなって言い返さない冷静さと忍耐力、セルフコントロール。試合前、気持ちを落ち着けるルーティンを作る審判も多いですよ。私の場合、日本茶とお菓子を口にしてました(笑)」
判定を下す一瞬の即断即決力も求められます。意外にも、ジェスチャーや会話でのコミュニケーション能力も重要とのこと。
「判定に納得いかない選手にも、紳士的に説明すれば、紳士的に応えてくれます。短く的確な言葉選びは、とても難しいですけどね」
穏やかな高田さん、その温厚さは外国ではマイナスの面もあったそうです。
「強い気持ちと信念がないと、審判は務まらない。試合中は笑顔も見せるが時には自分の態度や表情を厳しく変え、強い言葉で伝えることも大事なんだと、海外の審判を見て気づきました」
「試合が終わって悩むこともあります。そんなとき助けられるのが、アドバイスをくれる仲間や先輩の存在。研修会もあり、仲間意識は強いんですよ」
選手たちからの感謝と評価が
ワールドカップへの道を拓いた
「サッカーを始めた当初、大泉中学校の顧問の先生がとても熱心で、海外の貴重な映像を見せてもらったりして。サッカーが世界につながっていると知ってから、トリコになりましたね」
読売サッカークラブでのプレーを経て、26歳で審判の道へ。でも最初は、やめようとさえ思っていたとか!
「負けた側からは批判され、時にはひどい暴言を吐かれたことも。今思えば、自分が未熟だった面もありましたが…。それでも続けていくなかで、いいレフェリングができるようになると、選手が笛に納得してくれるようになりました。試合後に、『ありがとう』の言葉をもらえたり、審判関係者以外からも『今日はよかった』と言われたこともうれしかったですね」
そんな感謝と評価があって、国際審判員の資格取得、そしてワールドカップへとつながっていきました。一方で、1試合12kmも走る審判は、体力も不可欠。スポーツ店と二足のわらじを履いていた当時、閉店後からトレーニングに励む、多忙な日々でした。
そして1993年、Jリーグが発足。日本のサッカー環境が、がらりと変わった瞬間でした。
「海外経験のある審判仲間が多かったので、3〜10万の観客の雰囲気にも飲まれなかったんですよ。やはり経験は重要ですね」
1994年、膝の故障により惜しくも引退した高田さん。今は後進の育成に当たっています。
「選手だけでなく、審判を取り巻く環境も改善されました。でも私がまず指導するのは、選手の気持ちを理解すること。それがわかればプレーの方向が予測でき、無駄な反則も防げるからです」
自分が選手だったからこそ、選手の気持ちがわかる。今は早くから審判を目指す若者も多いそうですが、選手としての経験は不可欠と言います。
「ワールドカップも楽しみにしています。でもつい、審判をチェックしちゃいますね(笑)。日本の審判は世界でも高いレベルなんですよ!」
選手とともにぜひ、日本人審判も応援しましょう!
(平成26年6月2日)
冷静さ、忍耐力、即断即決力と…
2014 FIFAワールドカップがいよいよ6月から開催! 1986年メキシコ大会で、日本人初の主審を務めた高田静夫さんに、奥深いサッカーの審判について伺いました。
「メキシコ大会では世界32名の審判のうち、アジア人の枠は3人だけ。選ばれたときは、私もサッカー協会も驚きました。審判としてはピークの30代後半での参加でしたが、言葉の壁もあり、世界の雰囲気に馴染めず…井の中の蛙だと思い知りました。次のイタリア大会では少し安心できて、納得できるゲームになりましたね」
サッカーを観ていて、審判を意識することって少ないですよね? でも、そんな「目立たない審判こそ、いい審判」だと、高田さんは言います。
「選手が審判を気にせず、試合に集中できている時、試合の流れが途切れずスムーズに運んでいる時、“うまくいっているな”と感じます。そのためには、一試合通した判定の一貫性が大切ですね」
「審判に必要な資質は、選手の文句にカーッとなって言い返さない冷静さと忍耐力、セルフコントロール。試合前、気持ちを落ち着けるルーティンを作る審判も多いですよ。私の場合、日本茶とお菓子を口にしてました(笑)」
判定を下す一瞬の即断即決力も求められます。意外にも、ジェスチャーや会話でのコミュニケーション能力も重要とのこと。
「判定に納得いかない選手にも、紳士的に説明すれば、紳士的に応えてくれます。短く的確な言葉選びは、とても難しいですけどね」
穏やかな高田さん、その温厚さは外国ではマイナスの面もあったそうです。
「強い気持ちと信念がないと、審判は務まらない。試合中は笑顔も見せるが時には自分の態度や表情を厳しく変え、強い言葉で伝えることも大事なんだと、海外の審判を見て気づきました」
「試合が終わって悩むこともあります。そんなとき助けられるのが、アドバイスをくれる仲間や先輩の存在。研修会もあり、仲間意識は強いんですよ」
選手たちからの感謝と評価が
ワールドカップへの道を拓いた
「サッカーを始めた当初、大泉中学校の顧問の先生がとても熱心で、海外の貴重な映像を見せてもらったりして。サッカーが世界につながっていると知ってから、トリコになりましたね」
読売サッカークラブでのプレーを経て、26歳で審判の道へ。でも最初は、やめようとさえ思っていたとか!
「負けた側からは批判され、時にはひどい暴言を吐かれたことも。今思えば、自分が未熟だった面もありましたが…。それでも続けていくなかで、いいレフェリングができるようになると、選手が笛に納得してくれるようになりました。試合後に、『ありがとう』の言葉をもらえたり、審判関係者以外からも『今日はよかった』と言われたこともうれしかったですね」
そんな感謝と評価があって、国際審判員の資格取得、そしてワールドカップへとつながっていきました。一方で、1試合12kmも走る審判は、体力も不可欠。スポーツ店と二足のわらじを履いていた当時、閉店後からトレーニングに励む、多忙な日々でした。
そして1993年、Jリーグが発足。日本のサッカー環境が、がらりと変わった瞬間でした。
「海外経験のある審判仲間が多かったので、3〜10万の観客の雰囲気にも飲まれなかったんですよ。やはり経験は重要ですね」
1994年、膝の故障により惜しくも引退した高田さん。今は後進の育成に当たっています。
「選手だけでなく、審判を取り巻く環境も改善されました。でも私がまず指導するのは、選手の気持ちを理解すること。それがわかればプレーの方向が予測でき、無駄な反則も防げるからです」
自分が選手だったからこそ、選手の気持ちがわかる。今は早くから審判を目指す若者も多いそうですが、選手としての経験は不可欠と言います。
「ワールドカップも楽しみにしています。でもつい、審判をチェックしちゃいますね(笑)。日本の審判は世界でも高いレベルなんですよ!」
選手とともにぜひ、日本人審判も応援しましょう!
(平成26年6月2日)

高田さん(中央)は、
今や審判を審判する立場に。
後進の育成に力を注ぐ
(写真提供:高田さん)

マラドーナや
超一流の選手たちと
駆け抜けた国際審判員時代
(写真提供:高田さん)

日本人初の主審を務めた
記念すべきワールドカップ・
メキシコ大会のメダル(中央)

53年の歴史を誇る
高田スポーツ店。
2013年、現在の住所に
移転しました

野球・サッカー用品を
中心としたスポーツ店

ローマ法王と謁見したことも。
サッカーはやっぱり
世界の競技なんですね!
(写真提供:高田さん)

2014年ワールドカップ
公式の大会ボールも
店頭に並んでいます

柔和な物腰のなかにも
凛としたたたずまい。
世界の大舞台を経験した
貫禄を感じます!

高田スポーツ店
日本サッカー協会プロフィール