#087 落語家
柳家小きんさん
公開:2013.12.27
今は亡き師匠と心で対話
存在はなお濃く、多くを学ぶ
北町寄席は、高齢者の方でもご近所で気軽に行ける寄席をと、11年前に始まりました。高座を務めているのは、練馬区在住の噺家・柳家小きんさんです。奇数月第3土曜日夜に北町アートプラザで、毎回、楽しい時間を提供してくれています。
「世話人の皆さんが手弁当で協力してくださる、練馬ならではの温かい寄席です。高座の枠組みを作ってくださる方、会場に座布団を敷き詰めてくださるなどのご苦労があってこそ、寄席が成り立っているんです」
と、感謝の気持ちを表わす小きんさん。
「柳家一門は、『心よこしまなるもの、噺家になるべからず』という4代目小さん師匠の言葉が根本にあります。バカでもいい、誠実で心根の善い人間であれと」
「たとえば師匠を想っての行動なら、しくじっても怒られません。でも隠れて手を抜けば、逆鱗に触れる。なぜ見抜かれるか? 師匠も若い頃、同じことをしたからです(笑)」
噺家でなくともドキリとする格言ですね。
「師匠が怒ったら、まず土下座です。黙るべき時に黙り、目の動きだけで何を望んでいるかを察知する。そうやって、いい意味で空気を読む力を覚えます。そうなれば、空気を変える力も身に着けていけるんです」
昔ながらの厳しい師弟関係のなかに、先人の教えが詰まっているんですね。また現在は一門を超えた交流も盛ん。「この噺を習いたい」という師匠に、直に頼むこともあるそうです。
「三遍稽古といって、1日1度だけ師匠の落語を聞かせて頂きます。3日目、師匠の前でやって、『そんな薄っぺらい解釈じゃいけない』といった稽古をつけて頂く。心血を注いで継承してきた落語ですから、自分勝手に壊してはいけないんです」
古典への敬意…。その根底にあるのは、師への畏敬の念です。心の中に、いつも師匠がいると言います。
「私の師は10回忌を迎えますが、亡くなってからのほうが、より多くのことを学んでいると思います。『あの時仰ったのはこういう意味だったんだ』など、気づくことがとても多いんです。どんな分野でも、一流の人には皆、心に師匠がいます。師匠と心で対話をしながら、自分を磨き続けると、肝心な場面で道を間違えないんですよ」
相手をよく見て、好きになる
心を感じる力が、表現力に
小きんさんの温かい話しぶりは、「人が好き」という想いから来ています。
「噺家は、人様の10倍、相手に関心を持っているもの。相手の心を感じる力が、表現する力、伝える力につながるからです。よく『細かいこと覚えてるね』と言われますが、私は人間が好きなんですよ」
そんな小きんさんの師匠「6代目柳家つば女」は、実の父親です。落語家がテレビで引っ張りだこだった時代、多忙な父と散歩した記憶が、小きん少年の心に刻まれています。
「私の手を引きながら、何かブツブツ呟いてたんです。あとで、それが稽古だとわかりました。努力する姿を他人に見せないのが落語家なんです」
幼い頃から身近にあった落語。その道を志したきっかけは、中1の時に見た、父の襲名披露でした。
「鳴り止まない拍手、『よかったね、また来よう』と言いながら帰る、お客さんの幸せそうな笑顔…。我が父ながらすごい! と思いました。18歳の時、父に弟子入りしました。父の師である5代目小さん師匠が、『自分で見ろ』と父に命じたんです。手元に置きつつも甘やかさないことが芸の為になると、見抜いていたんでしょうね」
父親でありながら師匠。公私を分けるのは、意外にも難しくはなかったそうです。
「噺家として尊敬していましたから…。7代目『つば女』を継ぎたいという思いはあります。でもそれは、芸が追いついた時。継ぐのは名ではなく、芸ですからね。それは、“命のベクトル”を継ぐということでもあります」
脈々と継がれてきた教えのもと、今日も小きんさんは、高座にあがります。
(2013年12月27日)
存在はなお濃く、多くを学ぶ
北町寄席は、高齢者の方でもご近所で気軽に行ける寄席をと、11年前に始まりました。高座を務めているのは、練馬区在住の噺家・柳家小きんさんです。奇数月第3土曜日夜に北町アートプラザで、毎回、楽しい時間を提供してくれています。
「世話人の皆さんが手弁当で協力してくださる、練馬ならではの温かい寄席です。高座の枠組みを作ってくださる方、会場に座布団を敷き詰めてくださるなどのご苦労があってこそ、寄席が成り立っているんです」
と、感謝の気持ちを表わす小きんさん。
「柳家一門は、『心よこしまなるもの、噺家になるべからず』という4代目小さん師匠の言葉が根本にあります。バカでもいい、誠実で心根の善い人間であれと」
「たとえば師匠を想っての行動なら、しくじっても怒られません。でも隠れて手を抜けば、逆鱗に触れる。なぜ見抜かれるか? 師匠も若い頃、同じことをしたからです(笑)」
噺家でなくともドキリとする格言ですね。
「師匠が怒ったら、まず土下座です。黙るべき時に黙り、目の動きだけで何を望んでいるかを察知する。そうやって、いい意味で空気を読む力を覚えます。そうなれば、空気を変える力も身に着けていけるんです」
昔ながらの厳しい師弟関係のなかに、先人の教えが詰まっているんですね。また現在は一門を超えた交流も盛ん。「この噺を習いたい」という師匠に、直に頼むこともあるそうです。
「三遍稽古といって、1日1度だけ師匠の落語を聞かせて頂きます。3日目、師匠の前でやって、『そんな薄っぺらい解釈じゃいけない』といった稽古をつけて頂く。心血を注いで継承してきた落語ですから、自分勝手に壊してはいけないんです」
古典への敬意…。その根底にあるのは、師への畏敬の念です。心の中に、いつも師匠がいると言います。
「私の師は10回忌を迎えますが、亡くなってからのほうが、より多くのことを学んでいると思います。『あの時仰ったのはこういう意味だったんだ』など、気づくことがとても多いんです。どんな分野でも、一流の人には皆、心に師匠がいます。師匠と心で対話をしながら、自分を磨き続けると、肝心な場面で道を間違えないんですよ」
相手をよく見て、好きになる
心を感じる力が、表現力に
小きんさんの温かい話しぶりは、「人が好き」という想いから来ています。
「噺家は、人様の10倍、相手に関心を持っているもの。相手の心を感じる力が、表現する力、伝える力につながるからです。よく『細かいこと覚えてるね』と言われますが、私は人間が好きなんですよ」
そんな小きんさんの師匠「6代目柳家つば女」は、実の父親です。落語家がテレビで引っ張りだこだった時代、多忙な父と散歩した記憶が、小きん少年の心に刻まれています。
「私の手を引きながら、何かブツブツ呟いてたんです。あとで、それが稽古だとわかりました。努力する姿を他人に見せないのが落語家なんです」
幼い頃から身近にあった落語。その道を志したきっかけは、中1の時に見た、父の襲名披露でした。
「鳴り止まない拍手、『よかったね、また来よう』と言いながら帰る、お客さんの幸せそうな笑顔…。我が父ながらすごい! と思いました。18歳の時、父に弟子入りしました。父の師である5代目小さん師匠が、『自分で見ろ』と父に命じたんです。手元に置きつつも甘やかさないことが芸の為になると、見抜いていたんでしょうね」
父親でありながら師匠。公私を分けるのは、意外にも難しくはなかったそうです。
「噺家として尊敬していましたから…。7代目『つば女』を継ぎたいという思いはあります。でもそれは、芸が追いついた時。継ぐのは名ではなく、芸ですからね。それは、“命のベクトル”を継ぐということでもあります」
脈々と継がれてきた教えのもと、今日も小きんさんは、高座にあがります。
(2013年12月27日)
1967年駒込生まれ、7歳から向山に在住。専修大学附属高等学校の在学中、18歳で実父、六代目柳家つば女に入門。芸名小助。1989年二つ目に昇進、小きん(11代)に改名。小きんは、柳家一門の出世名と言われている。1998年、真打に昇進。柳家の十八番は『時そば』などの滑稽話だが、垣根を取り払い、人情物やサスペンス物なども演じている。趣味は、食べ歩きと限度を超す利き酒(笑)。「北町寄席〜柳家小きん独演会」では地元密着、「柳家小きん独演会」では全国を駆け回る。子ども寄席や老人ホームの慰問も大切にしている。声優養成所で講師を務めた。声だけで演じるという点で近いものがあるという。練馬でひいきにしているお店は、とんかつまるとし(北町)、茶々田(貫井)、かくれ家(北町)、海賊(大泉)など。