#073 大泉スワロー体育クラブ 代表
三宅 泉さん
公開:2012.11.01
日本初の民間スポーツクラブ
五輪に教え子を送り出す!
大泉学園北口から、学園通りを歩いて10分。7月に新施設が完成したばかりの「大泉スワロー体育クラブ」があります。実はここ、日本初の民間スポーツクラブなんです。
「体育人だった父が、戦後の復興に貢献したいという思いで始めました。当初は近所の子どもを6人集めて、早朝マラソンや体操教室だけでしたが、4年後には水泳教室もできました。『体育は学校で習うもの』という時代、お金を払って運動するという価値感がなかったので、非常に珍しかったみたいです。私も一通りのスポーツはしましたが、一番好きだったのは水泳ですね。オリンピック選手を目指して毎日練習していました」
と、明るく話してくださるのは代表の三宅泉さん。父、馨さんの死後、母の絹江子さんが18年間代表を務めました。その間もずっとサポートしてきた三宅さんが、7年前に代表に。物心ついた頃にはスポーツに親しんできた三宅さんにとって、代表になることは自然な流れだったそう。
アスリートにとって夢の舞台、オリンピック。これまでもオリンピック選手を輩出してきました。今年行われたロンドン五輪に、スワロークラブ出身の伊藤正樹さん(金沢学院大学クラブ)が出場し、三宅さんも、現地に応援に駆け付けました。メダルが期待されていましたが、結果は惜しくも4位!
「彼は2歳からクラブに来ていました。4位の結果に本人は満足してなかったと思うんですけど、終了後に観客席のほうに手を振り、しっかりとお礼をしている姿に思わず涙ぐんでしまいました。今でも時々顔を出してくれますが、その時は『2歳の正樹くんに戻っていいよ』と言っています。子どもたちも『すごいお兄ちゃん』と言って大喜びです」
当たり前の事、できることが大切
長い人生の糧となるために
最近の子どもたちについては、運動能力の低下が指摘されていますが、三宅さんは「コミュニケーション力」も乏しくなってきていると感じるそう。
「フロントの横に、アイスクリームの販売ケースがあるんですが、10年くらい前から、子どもたちがフロントに声をかけられなくなったんです。『アイスください』が言えなくて、10円玉でコツコツとフロントの机を叩く(笑)。今の時代、ほとんど店員さんとのやり取りをしてないんですよね。それで、コミュニケーションの機会を作るために、うちは自販機を置かないことにしました」
スポーツ教室でも、少し難しいことに挑戦させるのがスワロー流。ことばの端々に、子どもを大人と対等に扱い、何よりも、子どもたちを信頼していることが伝わってきます。
「子どもって、ただ甘やかされても嬉しくない。大人も同じですよね。『そんな難しいことできない』と思っているのは親だけで、子どもは挑戦したいと思っています。たとえ失敗しても、小さな挫折を重ね、乗り越えることが何より大切なんです」
クラブには、本格的なアスリートを目指す「選手コース」もありますが、三宅さんはここでも、「オリンピックに出ることや、大会でよい成績を上げることが最終目的ではない」と断言します。
「それだけがすべてになると、駄目だったとき、ただの挫折になってしまいます。たとえ選手になれなくても、頑張ってきてよかったと思えなければ意味がない。別の道に進んでも、自己肯定できて、その後の人生に夢をもって、頑張っていける人になってほしいですね」
週末も大会などがあり、なかなかお休みが取れない三宅さんですが、「仕事場が楽しいんです」と、まったく苦にならない様子。これからも、スポーツを通して皆を楽しませていってくださいね!
(2012年11月1日)
五輪に教え子を送り出す!
大泉学園北口から、学園通りを歩いて10分。7月に新施設が完成したばかりの「大泉スワロー体育クラブ」があります。実はここ、日本初の民間スポーツクラブなんです。
「体育人だった父が、戦後の復興に貢献したいという思いで始めました。当初は近所の子どもを6人集めて、早朝マラソンや体操教室だけでしたが、4年後には水泳教室もできました。『体育は学校で習うもの』という時代、お金を払って運動するという価値感がなかったので、非常に珍しかったみたいです。私も一通りのスポーツはしましたが、一番好きだったのは水泳ですね。オリンピック選手を目指して毎日練習していました」
と、明るく話してくださるのは代表の三宅泉さん。父、馨さんの死後、母の絹江子さんが18年間代表を務めました。その間もずっとサポートしてきた三宅さんが、7年前に代表に。物心ついた頃にはスポーツに親しんできた三宅さんにとって、代表になることは自然な流れだったそう。
アスリートにとって夢の舞台、オリンピック。これまでもオリンピック選手を輩出してきました。今年行われたロンドン五輪に、スワロークラブ出身の伊藤正樹さん(金沢学院大学クラブ)が出場し、三宅さんも、現地に応援に駆け付けました。メダルが期待されていましたが、結果は惜しくも4位!
「彼は2歳からクラブに来ていました。4位の結果に本人は満足してなかったと思うんですけど、終了後に観客席のほうに手を振り、しっかりとお礼をしている姿に思わず涙ぐんでしまいました。今でも時々顔を出してくれますが、その時は『2歳の正樹くんに戻っていいよ』と言っています。子どもたちも『すごいお兄ちゃん』と言って大喜びです」
当たり前の事、できることが大切
長い人生の糧となるために
長年、多くの子どもにスポーツを教えてきた三宅さん。しかし、まず大切なのは、挨拶、靴を揃える、後片づけ…と、当たり前のことをコツコツやることだと話します。クラブですれ違った子どもたちは、皆元気に挨拶してくれました!
「技術だけを教えるのは不可能です。心がきちんと育っていなければ何を言っても無理。一流のアスリートは、どこで会っても必ずきちんと挨拶をしてくれます。逆に、そういう当たり前のことができない人は、一流にはなれません」最近の子どもたちについては、運動能力の低下が指摘されていますが、三宅さんは「コミュニケーション力」も乏しくなってきていると感じるそう。
「フロントの横に、アイスクリームの販売ケースがあるんですが、10年くらい前から、子どもたちがフロントに声をかけられなくなったんです。『アイスください』が言えなくて、10円玉でコツコツとフロントの机を叩く(笑)。今の時代、ほとんど店員さんとのやり取りをしてないんですよね。それで、コミュニケーションの機会を作るために、うちは自販機を置かないことにしました」
スポーツ教室でも、少し難しいことに挑戦させるのがスワロー流。ことばの端々に、子どもを大人と対等に扱い、何よりも、子どもたちを信頼していることが伝わってきます。
「子どもって、ただ甘やかされても嬉しくない。大人も同じですよね。『そんな難しいことできない』と思っているのは親だけで、子どもは挑戦したいと思っています。たとえ失敗しても、小さな挫折を重ね、乗り越えることが何より大切なんです」
クラブには、本格的なアスリートを目指す「選手コース」もありますが、三宅さんはここでも、「オリンピックに出ることや、大会でよい成績を上げることが最終目的ではない」と断言します。
「それだけがすべてになると、駄目だったとき、ただの挫折になってしまいます。たとえ選手になれなくても、頑張ってきてよかったと思えなければ意味がない。別の道に進んでも、自己肯定できて、その後の人生に夢をもって、頑張っていける人になってほしいですね」
週末も大会などがあり、なかなかお休みが取れない三宅さんですが、「仕事場が楽しいんです」と、まったく苦にならない様子。これからも、スポーツを通して皆を楽しませていってくださいね!
(2012年11月1日)
大泉スワロー体育クラブの
パステルカラーの外観
フロントのスタッフも
笑顔がステキ
25mプール。
飲み水にもできる特別な
水を使っているため、
敏感肌の子どもでも安心
トランポリンは全部で3台。
そのうち1台は伊藤選手が寄贈。
天井まで高さは8メートルで
世界基準!
太極拳レッスン中。
バレエや書道教室などの
カルチャースクールもあります
幼稚園も併設
練習あとのお楽しみ、
アイスクリーム!
「ください」を言えるかな〜?
壁に張られた『みんなの夢』
サッカー選手、ケーキ屋さん、
みんなの夢が叶いますように!
三宅さんの好きな場所は
「大泉中央公園」と、
「北野神社」でした。
社員全員で初詣でに行き、
大会の前は必勝祈願もします
昭和36年にご両親が創立した、日本初の民間スポーツクラブ「大泉スワロー体育クラブ」の現代表。「明るく、楽しく、元気良く」をモットーに、赤ちゃんからお年寄りまで、すべての人にスポーツの楽しさを教えている。水泳、体操、トランポリン、チャイルドスクール、書道や造形といったカルチャースクールまで。好きな言葉は「人間は最も多くの人間を喜ばせた者が栄える」by 徳川家康。趣味はスポーツ全般。スポーツ以外の趣味は、読書と、地方に遠征する際の長距離ドライブ。
大泉スワロー体育クラブ公式ホームページ
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